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奈良県桜井市から三重県伊勢市の伊勢神宮を結ぶ伊勢街道は、都のあった「大和」と聖地「伊勢」を結ぶルート。古代から多くの人がこの道を利用しました。伊賀神戸、青山高原、伊勢中川を通る「初瀬街道」は、壬申の乱(672)に大海人皇子が大友皇子を倒すために名張へと向かった道で、7世紀から14世紀まで続いた斎王(天皇に代わって伊勢神宮に仕えた皇女)もこの道を通りました。また、曽爾高原を通る「伊勢本街道」は大和と伊勢を結ぶ最短ルートとして多くの人に利用されました。このルートには豊かな自然資産に加え、松坂牛、伊賀牛などの名産も多くあります。
5月 26 2010
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平安から鎌倉時代にかけて、熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社、那智山青岸渡寺、補陀洛山寺)への信仰が高まり、京の貴族は競うように三山を参詣し、近世になると武士や庶民の間にも信仰が広がり、参詣者が列をなして歩んだことから「蟻の熊野詣」と形容されるほどでした。平成16年に、「吉野・大峰」、「熊野三山」、「高野山」の三つの「山岳霊場」とそこに至る「参詣道」が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、多くの観光客が訪れています。熊野三山をめざす参詣道は、田辺市に入ると、海岸沿いを進む「大辺路」と、紀伊山中を行く「中辺路」に分かれますが、沿道地域では「訪れる人」と「迎える人」の交流による「美しいみちづくり」と「地域づくり」が行われています。
5月 11 2010
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京都府最北端の京丹後市は、日本海にあるラグーン(潟湖)と砂浜の特長を生かし、古代から大陸や朝鮮半島との活発な交流を築いてきました。市内には、神明山古墳と網野銚子山古墳という日本海側最大級の前方後円墳があり、他の遺跡から太刀や中国の貨幣などの遺物が多く発見されていることから、『丹後王国』が独自の文化圏を形成して繁栄していたことがうかがえます。その沿岸部を東西に巡る国道178号のルートには、奇岩・怪石が続く絶景の『丹後エリア』、日本海で最良・最大級の鳴き砂の浜「琴引浜」がある『網野エリア』、久美浜湾を持つ『久美浜エリア』が広がります。
4月 27 2010
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江戸時代初期、幕府は東海道の延長として京街道に枚方宿を設置しました。枚方宿は約1.5kmに及び、街道の両側には本陣をはじめ、旅籠や茶屋など400件近くが軒を並べていました。参勤交代の大名が宿泊するときは、たいそうな物々しさで、ことに御三家である紀州藩の大名行列は有名で、近郷近在から見物に来る人も多かったそうです。のちに八代将軍となる徳川吉宗も紀州藩主時代にここ枚方を通りました。現在でも数は少なくなったものの、商家や問屋役人の家など、当時の面影を残す町家が点在しています。町家を修復するだけでなく、新しい住宅でも伝統建築様式の特徴を取り入れて外観を修景するなど、歴史的な町並みや賑わいを創り出す試みが進んでいます。
4月 15 2010
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風景(ふうけい)は、目に見える様子、景色のこと。
類義語に景観、光景等がある。景観は客観的な景色、ランドスケープに用いて、主に都市など人工的なもの(用語例として「都市景観」)、風景は主観的な景色、ランドスケープに用い、主に自然に対して(用語例として「自然風景」)使われることが多い(ただし、盛り場風景、授業風景などの用例もある)。また、光景は瞬間的なもの、景観・風景は持続的なものに使われることが多い。
4月 05 2010
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ふるさと滋賀に伝わる民話の数々。
物語の舞台をたどると・・・ほら、いつもの景色が違って見えてくるよ!
3月 25 2010
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しぶんぎ座流星群(りゅう座ι流星群)
期間は1月4日未明(3日深夜)
放射点が高くなる4日午前3時頃~空が白み始める午前6時頃が観察に最適。しかし、月明かりの影響を受けるようで、暗い流星が見えにくく、流星の数は少ないかも。
1月 05 2010
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はくちょう座κ(カッパ)
期間は7月下旬~8月末
発生最多日は8月18日
一晩中の観測
1時間で見つけれるかどうか...
運次第でしょうか...
6月 08 2009